小劇場演劇への、差入れの『お作法』。

「小劇場」とよばれるジャンルの舞台演劇を観に行って、出演者への差入れをする際に気を付けたいことというのがある。

実際に出演やスタッフ業などしたことがあるものでなければなかなかわからない「差入れのポイント」がいくつかある。参考にしていただけると幸いだ。
夢をぶっ壊す可能性もあるので注意。

【差入れ周辺のシステムについて】

  1. 基本、「すぐには届かない」と思うべし
    差入れはまず、受付まわりの「制作」スタッフが受け取って、あとで手が空いたときに役者の鏡前、または楽屋の共有スペースに置きに行く。
    開演前は製作スタッフが最も忙しい時間なので、楽屋へ届けに行けるのは「早くて上演中こっそりと、遅くて全日程終了後」。それを終演後適宜役者が見つけるという流れが一般的だ。
    だから残念なことに、「今から見ます。頑張ってください!」みたいな手紙を入れても終演後にしか読んでもらえないことがほとんどだ。
  2. 差入れはみんなで食べるもの
    差入れは日程の前半にもらうと非常に助かる。
    たいてい、「ケータリングスペース」に供出してみんなでいただくからだ。(ここでは「○○さんから▲▲さんへ」というメモをつけたままにしてあることが多い)
    逆に日程の後半や最終日に大量にもらうと、食べきれずに余ってしまうことになる。
    余った差入れは最終日に全部開封してランダムに袋に詰め、適当に関係者で分けっこすることになる。これだと誰からもらったのか分からない。あげる側としてはちょっと残念。
  3. いつ渡すか
    受付に預けるよりも確実に本人に届けたいなら、終演後、役者があいさつに出て来た時に直接渡す方法もある。役者がロビーに出てこられない劇場もあるので、そのときは諦めて受付に預けよう。
【差入れの選びかた~食べ物編】
  1. 生ものは避ける
    日持ちのしない食べ物は絶対に避けた方がいい。受付事情によってはすべて常温で保管し、三日後にようやく配布されるなんてこともある。せっかくの差入れが痛んでしまっては、お礼の感想も言えないし捨てなくてはいけないし、もらった方にとっても忙しいスタッフにとっても悲しいことだらけだ。
  • 手作りも避ける
    手作りのものは保存料が入っていないから、生ものと一緒だ。
    また、食中毒やアレルギーなどの問題を完璧にクリアするのはプロでも不可能。
    まして変なものを入れられてトラウマになっている人もいたりする。出所のはっきりしているものをあげた方が賢明。
  • 身体にダメージのありそうなものは避ける
    とにかく本番中の関係者は身体が資本。
    あたりやすい食材を使用したものや、辛すぎて喉にダメージを受けそうなもの、かたくて口の中をケガしそうなものなど、ちょっとでもリスクを感じるものはNG。
    役者が喜んでも舞台監督や演出家から「食べちゃダメ」と止められることもある。
  • ベクレルフリーは当然
    放射能汚染されていないものであることは、他人にものをあげる時は当然の常識。汚染が懸念される地域のもの、海産物、キノコ類、栗などの木の実、芋などの根菜類…避けなければならないものは意外に多い。
    好きな役者さんに少しでも長く活躍して欲しいなら、細心の注意を払おう。
  • 甘いものは飽和状態
    差入れの内訳は、
    1位 甘いもの(8割)
    2位 お酒
    3位 その他の食べ物
    次点 お花や「もの」
    だいたいこんな感じなので、意外としょっぱいものが喜ばれたりする。食べるのに道具や洗浄が不要なくだもの(ミカンやバナナなど)も嬉しいが、生ものだし余ると困る。持っていく日程と量には注意しよう。
  • 相手がそのときハマっているものをチェックしておく
    おやつや飲み物、タバコなど、そのとき気に入っている銘柄のものならいくつあっても困らない。
    他の人とカブってあげてしまっても喜んでもらえるので、普段から気にしておこう。
【差入れの選びかた~プレゼント編】
  1. 食べ物以外の実用品
    食べ物以外にも、楽屋などで役に立つものは有難がられる。
[当日役に立つもの]
ドリンク剤、汗ふきシート、うがい薬、湿布薬、筋肉痛用塗り薬、ベクレルフリーの水、パックのドリップコーヒーやスティック状のラテ詰め合わせなど

[後日も役に立つもの]
おしゃれな柄の日本手ぬぐい(鏡前用)、入浴剤など

稽古期間中に役に立ちそうなものも喜ばれることがあるので、役者さんとの会話の中で探ってみてもいいかもしれない。
  • お花は意外と嬉しい
    花束の形ではなく、小さなアレンジメントになっているものだと、受付に飾ることもできる。
    受付に「○○さんへ」などとかかれた花を飾ると、その役者さんの人気っぷりをアピールできるのでより喜ばれるだろう。
    できれば初日に持っていきたい。
  • ぬいぐるみやクッションは楽屋で邪魔に
    楽屋に私物を置くことすらできないほど手狭な劇場は意外と多い。大きめなプレゼントはインパクトがあって嬉しいものだが、他の出演者の迷惑になってしまうとその役者さんの周りからの印象が悪くなる。
    また、ぬいぐるみなどのようにストーカー行為を連想させる(盗聴器を仕込めそうだ、等)プレゼントは、陰で嫌がられていることが多いのであげないほうが無難。
  • 最終日にかさばるものは避ける
    公演の最終日は、小道具や衣装、メイク用品などを持って帰らなくてはいけないので非常に大荷物だ。
    帰り道の荷物が少ないのは、公演初日~千秋楽の前日まで。大きな花束やちょっとかさばるプレゼントなどをあげたい場合は、最終日を避けて渡そう。
    千秋楽しか観に行けない場合も、初日~中日に劇場に持っていくか宅配で送る等ができる場合もあるのでやむを得ない場合のみ問い合わせてみよう。
以上、少し厳しめに解説したが、だいたいこんな感じではないだろうか。
いろんな意見があるだろうから参考程度に覚えておいていただければ幸いだ。


名古屋に行ったらこの珈琲店に行く。

ミル (Milou)
愛知県名古屋市千種区楠元町2-35 楠元マンション 1F
http://tabelog.com/aichi/A2301/A230107/23000054/

奈良でカフェ「カナカナ」に行ったときに、ここの豆をわざわざ取り寄せているときいて気になっていた。とても「僕好みに」おいしかったのだ。
行ってみて、のちのち豆をお取り寄せしたいと思う。


すべての言い方はメタファーである、ということ。

宗教というのは、ある意味世界を解釈するための方法なのであって、その意味では科学もひとつの宗教であるということができる。
科学を現実の解説であるとするならば、ある人にとっては宗教が教える世界観も実在する現実なわけだ。

すべての言い方はある一つの事象のメタファーにすぎない。

だから「そのひとにとっての解釈」である「言い方」の相違でよくもめごとが起こるが、結局は同じことを言っているということがお互いに通じ合っていないだけ、ということがおこる。

この視点を持って自分が行っている議論を外側から見ることができれば、もうちょっといろんなことが平和になるような気がする。
仙人みたいに達観している人は怒ることが少ないからと言って、感じないわけじゃない。
何がどうなっているのが見えてわかるから、怒る必要がないだけのことだ。

僕ももうちょっと修行しよう。


電子書籍に望むこと>無料「本格化する電子出版」 – ジブリ より

小冊子『熱風』2012年10号の特集は「本格化する電子出版」 – スタジオジブリ出版部.

電子書籍の使い方については僕もずっと考えている。
電子書籍のいいところ
・家でかさばらない
・蔵書を全部持ち歩ける
・すぐ読める
・好きな文字サイズで読める

電子書籍の悪いところ
・目が疲れる(ブルーライトつらい)
・電池がないと読めない
・電子機器を使えない場所で読めない
・レイアウトを見て楽しみたいときに文字サイズ変えられるのはなんか嫌
・規格、販売場所がばらばら

これらを総合して、僕はまだ現状では本格的に電書を利用するのは控えようと思っている。
僕がいま、「本」に求めているのはiTunesと同じ使い方ができること。

・本を買ったら、「紙」「iPhone」「iPad」全部で同期しながら読み進めたい。
新刊書などは文庫と大きい本と同じ値段でもいいから同時に発売して欲しい。通勤電車で「1Q84」とか「ハリーポッター」とか邪魔すぎて読めない。
つまりこういう使い分けがしたい。

  • 通勤中:iPhone
  • iPad:カフェとか
  • 紙の本:家
家では目が疲れるから紙で読みたい。iPhoneやiPadは曲を流したり充電したり忙しいので、極力解放してやりたい。そういった理由もある。
で、いちいちページ数が変わってしまうと読んだところまでを探すのが面倒なので、同期するなり、電紙共通の細かいセクション番号で探しやすくするなり、工夫をしてほしい。
そういうパック販売があれば、確実に買う。

そしてなにより、すべての規格を統一して欲しい。

iTunesで音楽利用は非常に便利になった。Appleは、iTunesとiPodの黎明期、MP3が普及し始めたころからずっとかゆいところを適切に掻いてきてくれていた。
MP3に簡単にリッピングでき、プレイリストで管理でき、CDに焼くこともできて、すべての曲を常に持ち歩くことができるようにしてくれ、…
その便利さを得たせいでCD業界がどうのこうのということもあったかもしれないが、ユーザーの側からは非常に有難い限りの 進化をしてくれている。

電子書籍の世界もきっといずれはそうなるだろう。
iPad mini でよりその世界へ近づく速度は増していくに違いない。
どのモデルのiPad miniを買おうか思案しながら、実はとっても楽しみにしているのだ。


困った人種の特徴。

職場にも、身近にも、困った人がいる。
機嫌を自己コントロールできず、ものごとの切り分けができず、自分がすべて正しいと思っている人種のことだ。どこの群れにも必ずいるから、きっと誰もが目にしたことがあるはずだ。
そういう人は嫉妬に支配され、「なぜ自分だけが」という考え方を持ち、四角四面に出来上がった「いい人」であると自分について思い込むことに全てを賭けている。

そういう人が少しでも自分の思うとおりにならないものや人とぶち当たると、面白いようにパニックを起こす。そして、むっつりだんまりになってかなりの長い間不機嫌な状態で周囲に迷惑な影響を及ぼす。まるで幼子だ。
なぜそんな大変なことになってしまうかというと、きっと自分が侵害されている事実をうまく認識できないのだろう。こんなに「ちゃんとした」自分が他者よりも下の位置に置かれるなんてことがあるはずはない、あってはならないと思っている。なぜなら自分は「普通で、まともで、平均より優れていて、みんなから好かれる存在だ」と思いこんでいるからだ。

そう思うこと自体は悪くないし、そうなろうとするのは素晴らしいことだ。
しかしつねに自省は忘れてはならない。自分がそのヴィジョンに相応しくなれているのかどうか?と。

我々(そういった人種から有形無形の被害を受けているひとたち)は普段、ある程度の非礼をひとから受けるのを普通と思っているから、日常で起こるかなりのことは大目に見ている。しかしああいう人たちは自分が侵害されることをあるまじきこととして受け取る。(だからつねにぷんぷんしている。日常で不機嫌な時間帯の割合の方が多ければ、通常は何かおかしいと気づきそうなものだがそうはならない)
そしてそういう人たちに限って、みずからが他人を侵害しているということに故意であるほどに無頓着なのだ。

そういうひとたちの自己正当化のロジックは、「迷惑をかけているから他人を許せ」とか「人に迷惑をかけないようにしろ」とかいう考え方をさも賢そうに語る人たちの道理に近いのかもしれない。
「自分が迷惑をかけないようにしているのだから他人も自分に迷惑をかけないようにして当たり前」と思っているのだろう。そして「自分が受けた迷惑を許してやっているのだから他人も自分が迷惑をかけることを許せ」と思っているのではないだろうか。
そういう奴に限って「普通」「当たり前のこと」「常識」という言葉で自分の理想型を人に押し付け、主体性と主観のそもそものありようの違いに気づきすらもせず人を判じるのだろう。

しかし我々は「迷惑をかけず、受けた迷惑を許す」生き方をしているのだ。このやり方が割を食っている以上、我々がマイノリティであることは疑いようがない。自分に対して「こうあるべき」と思ってはいるが、だれもやっていないのだということからこれは「あたりまえ」の「普通ならやるべきこと」ではないのだろうと理解しなければならない。

もしかすると、幼少時に自己を侵害される体験をどれだけしてきたかによって、あちら側と我々側のどちらに分類されるかが変わっていくのかもしれない。

おそらく、彼らは「悪くない」。
我々に、彼らのような「押し付け」をできるだけの鈍感さがあれば済む話なのだろう。
我々側に属するひとたちに、幸あらんことを。


電子書籍の心臓

ぼくはほぼ半年のあいだずっと考え続けていた
本の生と死と それから電子の書籍について

あれはまだ成熟していないだけの市場だ
ということはじゅうぶんわかっているし
だからこの転換期としての電書が
フォーマットもなくターゲットもわからないなにか透明なものへ向かって
なげだされるのだということも知っている

これは単純な世代交代なぞじゃない
それから 紙というフォーマットが滅びていくことが問題なのじゃない
コンテンツがフォーマットを自由に選べなければならないのだ
どうしても

今 読書環境は不便この上ない
そして本を電子化するために
ぼくはぼくの本を裁断するのなんか なんとも思わなくはなりたくない

本は二度死ぬという
まず絶版 そしてのち 読者に忘れ去られることの死

それなら永遠に
フォーマットを自由に選べるコンテンツには二度めの死はないのだ(時代はすすんでもひとはおもしろい作品を忘れまい)
そうして
本はずっと生きている
ひとの目の上に

Gene Mapperの発行と、群像的文体練習(群像2012.11)に影響を受けてついこんな冗談をやってしまった。

ご存知萩尾望都の「トーマの心臓」の詩編パロディである。ほとんど全部、原文参照なしに思い出せてしまったあたりが自分でも気持ち悪いと思う。
もっとまともな記事は次回以降。